【インタビュー】 「家造」設計顧問・水澤悟さんの家づくりの考え方

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鈴木 亮平

新潟県聖籠町在住の編集者・ライター・カメラマン。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。累計800軒以上の住宅取材を行う。

村上市に本社を構える家造(株式会社加藤組)は、チルチンびとの地域主義工務店の会に所属し、自然素材をふんだんに使った家づくりを行う工務店。

2009年より、東京で設計事務所を営む水澤悟さんと共働して住宅の建築を行っています。

素材感や自然との繋がりを大切にした心地いい住まいを具現化する水澤さんは、どのような考え方で設計業務にあたっているのか?

水澤悟さんと、家造の加藤善典社長に、水澤さんが設計を行った家造のマネージャー若山拓郎さんの自宅の2階リビングでお話を伺いました。

※本記事全文は家造(株式会社加藤組)のWEBサイトでご覧いただけます。

こちらでは部分的に紹介します。

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水澤悟建築設計事務所 水澤悟さん

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1959年、新潟県六日町(現南魚沼市)生まれ。工学院大学建築学科卒業後、設計事務所勤務。1986年、田中敏溥建築設計事務所に入所し、木造住宅のほか共同住宅、図書館、商業ビル、診療所、工場などを担当。1997年、水澤悟建築設計事務所設立。木造住宅を中心に共同住宅やリノベーションなどの設計を行っている。

 

――はじめに水澤さんが建築の道を志したきっかけや経歴について教えて頂けますか?

水澤:僕は新潟県の六日町出身なのですが、中学生の頃に母の実家の近くで設計事務所を開いた方がいて。個人でも生きていける“建築士”という仕事に興味を持ち始めたんです。

それで、高校を卒業後は工学院大学の建築学科に進みました。

大学卒業後はハウスメーカー系列の住宅会社に入ったのですが、そこでは設計ではなく営業をしていたんです。設計がやりたかった自分には合わず、半年で辞めてしまったんですが(笑)。

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その後、都内の設計事務所に入りました。そこでは、ゼネコンが手掛ける工場やマンションなどの大規模な建築物の設計をしていたんです。3年半程お世話になり、それは自分自身にとってすごくいい経験になりました。でも、その間に住宅の設計したいという希望が沸々と湧いてきたんです。

その時にご縁があって、田中敏溥建築設計事務所に入ることになりました。26歳の時のことです。そこで11年間お世話になり、1997年、37歳で独立して設計事務所を始めて今に至っています。

 

――田中敏溥さんの事務所に入り、そこで住宅の設計をスタートされたのですね?

水澤:実は僕が入ったころから住宅以外の仕事の依頼が入るようになり、RCの共同住宅やクリニック、工場や商業ビル、図書館などの担当をさせていただきました。そのことは前職の経験を生かすことができ、特に戸惑うことはありませんでした。

そのような非住宅の設計をやりつつ、住宅の設計の仕事もやっていったんです。大体半々くらいの割合だったと思います。

11年間お世話になって、その間に田中さんから受けた影響は大きかったですね。ただ、「住宅の設計はこうやるんだよ」というような教えは一切なくて。図面をまとめ、現場で大工さんとコミュニケーションを取り、完成した建物に対して自分がどう感じるか、施主さんにどのように感じてもらえるかなど、家づくり全体の流れの中で「感じること」が一番の勉強だったように思います。

あとは、田中さんとの対話の中で学ばせてもらったことが大きいです。

田中さんの人間性がとても素晴らしくて。生き方にも設計にも「筋を通す」タイプの方で、設計においてもきちんと説明ができることを大切にされていました。飾りでものを考えたりはしない方で、筋が通っていない設計には鋭く指摘をされていました。

そう話すと、厳しい人のような印象を持たれるかもしれませんが、僕たちスタッフのことを尊重してくれる人で、事務所の居心地がとても良かったんです。

僕は最初の面接時に「3年で辞めます」と宣言したんですが、結果的に11年も居ることになったんですね(笑)。

 

――独立をしたタイミングやきっかけについて教えて頂けますか?

水澤子供に何かを教えてあげるということがあまりできそうになかったので、せめて毎日ご飯は一緒に食べようと思ったのです。食事の時間を共有することは、とても大事なことだと思うんですね。

設計事務所に勤めていると夜が遅くて、そういうわけにもいかないですから。

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あとは、年齢的にも30代半ばが一つの目安と考えていました。ちょうど田中敏溥建築設計事務所で担当していた仕事の区切りがつくタイミングで独立をしたんです。

 

――水澤さんのWEBサイトで「豊かな時間 (とき) を 穏やかな生活 (くらし) を創造したい」と掲げられています。このコンセプトについて詳しく教えて頂けますか?

水澤:人によっては「住宅で刺激を受けたい」と思っている人もいらっしゃいます。住宅はいろいろあっていいと思っているんですけど、僕の場合は、外の景色を眺めたり、のんびりと過ごしたり、穏やかな時間が流れるような家をつくりたいと考えています。

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具体的には、外とのつながりを大事にしていますし、素材は柱・梁、床も無垢材、壁もできれば左官仕上げの塗り壁がいいなと思っています。床材は触れた時に柔らかい杉や檜などの針葉樹を提案することが多いですね。

間取りにおいては、まずリビングを一番くつろげる空間にしたいと考えて設計をしています。窓は、風の流れを考えて、風の入口と出口を考えて配置するようにしていますね。

温熱に関しては、なるべく機械の冷暖房に頼らなくても快適に過ごせるような設計を意識しています。

 

――ここまで水澤さんにお話を伺ってきましたが、今度は加藤社長お願いします。どのような経緯で水澤さんに設計顧問を依頼するようになったのでしょうか?

加藤:11年前、2008年にチルチンびとの「地域主義工務店の会」に入会した時に遡るんですけど、その会の顧問を田中敏溥さんがやっていたんです。田中さんの出身地が村上市で、うちも村上市の建設会社ということで、私たちの会社のことを知っていらっしゃって推薦して頂きました。

入会するにあたっては、家づくりで使う建材に厳しいルールがあり、チルチンびと仕様の家づくりをすることが条件となっていました。

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そこで、まずはモデルハウスを建てようということになり、田中さんに設計を依頼したんです。

2008年、新潟市北区木崎にモデルハウスが完成し、それを見たお客様からご依頼を頂くようになるのですが、「モデルハウスはいいけど、お客様の家の設計をどうやっていこうか?」ということになり、田中さんに相談に行ったんです。そうしたら目の前でプランを描いてくださって。

では、どうやってその後実施設計を進めていけばいいか?となった時に、田中さんから水澤さんを紹介して頂いたんです。それで、完成したばかりのモデルハウスを見て契約に繋がった最初のお客様から水澤さんに携わって頂きました。

水澤:そうですね、最初のお客様の実施設計からでしたね。

加藤:それからずっとなので、もう10年のお付き合いになります。

 

――加藤社長から見て、水澤さんの設計の魅力はどんなことですか?

加藤:私は家業を継ぐ前は岐阜で家具職人をやっていたんですが、田中敏溥さんと同様に「理由のないデザイン」というのが嫌いだったんです。意匠が先ではなく、機能がしっかり考えられているベーシックなものが好きで。

水澤さんの設計する建物も、完成して中に入った時にそのあたりがすごく共感できるんですね。土地の特性もしっかりと捉えられていて、「いい建物だな…。自分もここに住んでみたいな」と思いますね。

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あと、お客様から「なぜこういうプランなんですか?」と質問された時も、いろいろなパターンを試した結果として最適なプランを提示されているので、しっかりと説得力のある説明ができるんです。プランが出るまでに時間も掛かるんですが、やはりすごく深く考えられているんだな…と思いました。

あとは、お客様とのやりとりで、専門用語ではなく分かりやすい言葉を使って丁寧に説明をされていますし、気さくな印象を感じさせるところも水澤さんの魅力だと思っています。それはお客様に対してだけでなく、我々に対しても押し付けるような感じが一切ないですし。職人さんとお酒を飲んでいるところを見ても感じますね。

納得を積み重ねながら、家づくりを進めていくのが水澤さんのスタイルだと思います。

私自身も家具をつくっていたので、意思のある作り手にすごく共感するんですが、水澤さんはお客様に言われたことをただ図面にするのではなく、そこに水澤さんが大事にしている思想があることも感じます。

より詳しい記事は家造(株式会社加藤組)のWEBサイトでご覧ください。

取材協力/家造 加藤善典さん、水澤悟建築設計事務所 水澤悟さん、家造 若山拓郎さん

写真・文/鈴木亮平

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鈴木 亮平

新潟県聖籠町在住の編集者・ライター・カメラマン。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。累計800軒以上の住宅取材を行う。