【インタビュー】燕三条発・地財地建の家づくり。イイヅカカズキ建築事務所・飯塚一樹さん

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鈴木 亮平

新潟市在住の編集者・ライター・カメラマン。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。累計800軒以上の住宅取材を行う。

三条市神明町にオフィスを構える株式会社イイヅカカズキ建築事務所(IKA)。代表の飯塚一樹さんは2007年に独立し、この夏、事務所設立14年目を迎えました。安定感のある総二階のフォルムに、高い断熱性能、可変性のある設計、美しいディテールなどが飯塚さんが手掛ける住まいの特徴です。どんな思いや意図を持って設計に臨んでいるのか、お話を伺いました。

 

株式会社イイヅカカズキ建築事務所 代表 飯塚一樹

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1977年三条市生まれ。大学で建築を学び、三条市、新潟市の設計事務所を経て30歳で独立。住宅を中心に、店舗や工場などの非住宅の設計も行う。2013年より「R+HOUSE」に建築家として登録し、県外での注文住宅案件を年間30棟手掛ける。

 

実家の建替が、建築を目指すきっかけに

鈴木 県内に留まらず、R+HOUSE登録建築家として全国各地の工務店とのコラボも行い、とても多忙な日々を送っていらっしゃいますが、飯塚さんが建築家を目指したきっかけは何でしょうか?

飯塚 子どもの頃からラジコンを作ったり、木工で何か作ったり、絵を描いたりとか、何かを作るのが好きだったんですが、小学校6年生の時に実家を建て替えすることになったんですよ。家ができていくのを見るのが楽しくて、毎日職人さんたちが帰った後に、夕方こっそり現場に見に行っていました。

その時に、なんとなく将来は設計の仕事に就きたいなあと思うようになったんです。

高校を卒業後、東京の工学院大学の建築学部に進みました。そこでは毎週設計課題があって、よく仲間とうちのアパートに集まって徹夜で課題に取り組んでいましたね。

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鈴木 卒業制作では何を作ったんですか?

飯塚 老人ホームの設計をしました。当時は、高齢化社会が進み老人ホームがより求められるようになると言われていた時代でした。

東京は土地が少ないせいか、「老人ホームと保育園」とか「老人ホームと商業施設」とか、他の用途と一緒になった複合的な老人ホームが多くあって。複合することによって、休み時間に園庭で遊ぶ園児をお年寄りたちが眺めているとか、園児とお年寄りが交流するとか、そういうことが生まれていて面白いなと思いました。

そういう研究を踏まえて、卒業制作では、三条小学校と老人ホームの複合施設のプランを考えて提案をしました。

 

家屋調査や鉄骨造の設計を経て30歳で独立

鈴木 大学卒業後はどんな会社に就職したんですか?

飯塚 三条市内の設計事務所ですね。ただ、配属されたのが意匠設計部じゃなくて建築物調査を中心とする部署だったんです。自分は意匠設計をやりたかったから、1年目から社長と常務に「意匠設計部に異動させてください」って頼んだんです。

そうしたら、「二級建築士も持ってないのに生意気言うな!」と言われたので、勉強して二級建築士を取りました。それで改めて異動希望を出したんですが、今度は「一級建築士を持ってないのに生意気言うな!」と言われて(笑)。

景気が悪い時期でもあり、意匠設計部の人員を増やせない状況なのを分かってはいたんですが、結局4年間働いて退職をしました。

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鈴木 意匠設計をやれないことに耐えられなかったんですね…。

飯塚 当時26~27歳だったんですけど、何となく30歳になる前に自分のスキルを上げておかないと…という焦りがあったんです。

30歳っていい大人だなと思っていて。それまでに自分のスキルを上げて何かを成し遂げていないと、その後に繋がっていかないんじゃないかと思っていました。

それでその会社を辞めて、その年に一級建築士資格を取りました。

それから、その時期に「給料いくらでもいいんで働かせてください!」って新潟県内の設計事務所にメールと履歴書を送りまくって、その中で唯一「うちで働いていいよ」と言ってくれた新潟市内の設計事務所に入り、そこで4年間働きました。

鈴木 念願叶ってようやく意匠設計の仕事ができるようになったんですね。

飯塚 ただ、新しい会社に移ったのはいいんですけど、公共施設などの箱物の耐震補強の仕事が8割くらいだったんですよ。あとはマンションと鉄骨の倉庫や事務所、工場などの設計もしていましたが、マンションの基本設計はデベロッパーが行うので、その実施設計や法規チェックの仕事が多かったです。

意匠設計がやりたくて入ったんですけど、そういう仕事があまりできなくて。また自分のスキルが上がっていかないんじゃないか…と不安になってしまいましたね。

鈴木 なるほど…。ちなみにその時期に、ゆくゆくは今のように住宅をやりたいと考えていたんですか?

飯塚 「建物の基本は全て住宅に詰まっている」と先輩に教えてもらったことがあって、それがずっと頭の中に残っていましたし、一般のエンドユーザーの方に喜んでもらいたいな…というのがありました。

そんなことを考えていた時に、一級建築士資格を取る時にお世話になった稲垣建築事務所の稲垣先生に偶然会って、話をしていたら独立を促されたんです。でも、独立するって不安定になるしちょっと怖いじゃないですか。それで嫁さんに相談をしたんです。

そしたら、「ずっと独立したいって言ってたんだから、やればいいじゃん」って返されて。収入なくなったらどうするの?って聞いたら、「私が稼ぐからいいよ」って。

そうやって周りの人に背中を押されて独立をしました。ちょうど30歳の時でした。

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青年会議所のつながりで、継続的に仕事を受注

鈴木 はじめはどのようにして仕事を取っていったんですか?

飯塚 あてもなく急に会社を辞めて独立したんですよね。新潟市内の会社に勤めていたから、仕事を通して三条で横のつながりもなかったですし。

ただ、独立する前の年から一般社団法人燕三条青年会議所に入っていたんです。それで、青年会議所のみんなの前で「独立しました」って話をしました。そうしたら、当時理事長だった株式会社丸山組の社長・丸山光博先輩が、その日に「うちにお茶飲みにおいでよ」って言ってくださって。ノコノコとお茶を飲みに行ったら仕事を頂けたんです。丸山先輩には今でも仕事・プライベートの両方でとてもお世話になっています。

そこで頂いたお仕事は鉄骨の倉庫の設計だったんですけど、それまで鉄骨の仕事を中心にやっていて良かったなあと思いました。

鈴木 前職での経験がすぐに役に立ったんですね。ちなみに、住宅をやりたいという思いを持っていた飯塚さんは、鉄骨の仕事は不本意だったりはしなかったですか?

飯塚 いや、設計をするのはすごく楽しかったので。自分で分からないことを調べて形にしていくのは、子どもの頃好きだったものづくりと一緒で好きでした。分からないことが分かるようになるというのは、自分の成長が実感できて楽しいですね。

鈴木 その後も青年会議所でのつながりがあった方からの依頼が続いたんですか?

飯塚 そうですね。本当に人のご縁ですね。青年会議所に入ったことで、横のつながりが一気にできて、いろんな人がいろんな人を紹介してくれて。

もちろん独立した当初は売上は今よりも少なかったですけど、13年間やってきて仕事が途切れたことは一度もないですね。

青年会議所を卒業してもう3、4年経ちますが、今でも青年会議所のつながりで紹介をして頂くことは多いです。

鈴木 すごいですね…。住宅の設計は独立1年目からやっていたんですか?

飯塚 リフォームはありましたけど、新築の木造住宅を設計したのは独立して4~5年目が最初だったんです。2012年だったと思います。

鈴木 初めて取り組む住宅の設計とは、飯塚さんにとってどういうものだったんですか?

飯塚 木造をやったことがなかったので多少不安はありましたね。で、知り合いの大工さんに頼んで他の設計事務所の図面を集めまくって(笑)。見よう見まねで図面を書いていました。当時は矩計図(かなばかりず、断面の詳細図)も書けなかったので。

鈴木 それくらい鉄骨と木造でノウハウが違うんですね!

飯塚 全然違いますね。でも大変だったというよりも、やりたいことがいっぱいあったので、とにかく調べまくって、それを爆発させるような感じでした。すごく楽しかったです。

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ZEH仕様の自宅を2015年に建築

鈴木 2015年にはご自宅を建てられていますが、最初に住宅の設計をした2012年から3年を経て、その間に家づくりの考え方が変わっていったりはしましたか?

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飯塚さんの自邸「裸足の家」。

飯塚 2013年にR+HOUSEに建築家として参加したんですけど、R+HOUSEをやるようになって「コスト感覚が生まれた」というのがあります。それから、自宅を建てる際には、それまでよりも温熱に力を入れるようになっていました。安心安全で、光熱費が安くて家中が暖かい家をつくりたくて。

住宅を始めた時に、どの断熱材を使うのがいいのかな?と考えるようになって。調べていくと、自ずと温熱の話に行きつくじゃないですか。

そうして、気密は、換気は、エアコンはどうすればいいか?それらを生かすプランとは?と、一棟一棟考えて設計してきたんですが、「温熱環境が良くなると人の住まい方も変わる」と思うようになりました。

ちなみにうちの実家は鉄骨造ですごく寒い家だったんです。冬家に帰ってくると外より寒くて(笑)。風呂に入るたびに「寒い寒い…」と言ってるのもすごくストレスでした。

鈴木 鉄骨が外の熱を伝える「ヒートブリッジ」になっているんでしょうかね。

飯塚 それもありますし、そもそも無断熱に近いつくりでしたから。それで、新しく建てる家はこれから先も長く通用するものにしたいと考えたんです。

それで、当時県内ではまだやっているところが少なかった「ZEH(ゼッチ、ゼロエネルギーハウス)」仕様にしました。

エアコン1台で家中が快適温度になり、ストレスがない家を…と考えて建てた家なんです。

鈴木 エアコン1台でいけるんですね。

飯塚 実際は2台使っています(笑)。1台がメインで、補助でもう1台を使う感じですね。やはりドアを閉め切ることによって空気が行き渡りにくい場所があって。

温度差は3度くらいなんですけど、全体が快適な分、ちょっとの差が不快に感じるんです。すごく体が贅沢になっているんですよ。

鈴木 ちょっとした温度ムラが気になっちゃうんですね。

飯塚 でも、その自宅で感じる温度ムラというのが、今の設計にすごく生きています。

例えば、吹き抜けの位置やエアコンの位置、空気をどのように循環させるかなどを考えて、今は「温度のバリアフリー」を実現できるようにしています。

そのために、なるべく扉、間仕切りの無い連続的な空間を提案する事が多いですね。子ども部屋なんかは「なるべく間仕切りなしでいきましょう」とか。

鈴木 施工実例を見ていると吹き抜けのあるお宅が多いですが、温度のバリアフリーのためなんですね。

飯塚 そうですね。ある程度大きな吹き抜けを設けるのが効率的ですし、吹き抜けを2カ所取れたら一番いいです。1カ所で空気を上げて、もう1カ所で空気を下ろすことができますから。

鈴木 7月に取材をさせて頂いた燕市のA様邸は理想形ですね。

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2つの吹き抜けがある燕市A邸(2020年1月竣工)

飯塚 そうなんです。あと今着工している吉田の家もそういう形です。まず、断熱と気密が基本で、そこの性能をしっかり高めた上で、次にどういうふうに空気を回すかというのが大事になります。

ちなみに断熱性能は今HEAT20のG1グレードをクリアした家をつくっているんですが、今後はその上のG2グレードを標準にしていきたいと思っています。

そうすることで得られるメリット、例えば電気代がこれだけ下がるとか、基礎疾患が減るとか、分かりやすい指標で伝えていきたいですね。

 

日射遮蔽は夏至の太陽高度で決めてはいけない

鈴木 ところで最近は夏がすごく暑いので、日射遮蔽が以前よりも重要になってきていると思うんですが、そのあたりはどう考えられていますか?

飯塚 新潟では冬の日照時間が短く日射取得が望めませんから、日射で室内を暖めるよりも、断熱をしっかりして熱を逃がさないようにすることが大事です。一方の夏は、日差しを採り入れないようにする。日射遮蔽に比重を置くことが大事だと思います。

あと、よく失敗しがちなのが、夏至の時の太陽高度で日射遮蔽できる軒の長さを決めることです。

夏至はまだ6月なので本格的に暑くはなくて、本当に暑いのって8月ですよね。その8月の太陽高度ってけっこう下がってきてるから、夏至に合わせて軒の長さを決めると太陽光が普通に入ってきちゃうんです。

ちなみに自宅は1.8m庇が出ているので、夏至に太陽光は全く室内に入らないんですけど、今日8月20日は普通に入っていました(笑)。

鈴木 (笑)。ちょっとでも太陽光が入ると暑いですよね。

飯塚 暑いですね。で、カーテンを閉めちゃうんですけど、そうすると内と外のつながりが遮断されてしまうんです。なるべく外とつながっていたほうが気持ちいいので、夏にカーテンを閉めなくていい家をつくりたいですね。

ただ、軒を長くするほどコストが掛かるので、悩ましいところではあります。

 

自宅の課題を見つめ、よりよい家づくりを

鈴木 やはり自分の家を建てたことで、そこから見えてくる課題があるものでしょうか?

飯塚 すごくたくさんありました。日射遮蔽もそうだし、性能のいい窓でも大きなものをつけるとやっぱりそこから熱が逃げやすいんだな…ということだったり。気密断熱性能がいいと、ちょっとでも温熱的に弱いところがあるとすごく不快に感じるんだな…とか。

あと、24時間換気ですが、うちは第3種換気(排気を換気扇で行い、吸気は排気口から自然に取り入れる換気方式)を選んだんです。

そうしたら、冬に外からの冷たい空気が流れる「通り道」が分かるんですけど、それがめちゃめちゃ不快なんですよ。

鈴木 空気の通り道が感じられるんですね!ちなみに第3種換気って、壁に吸気するための穴が開いている状態だと思うんですが、気密性を高めるのと逆の行為のようにも思えます。そのあたりってどうなんでしょう?

飯塚 自宅を建てる時は、子どもがアレルギー体質だったのでとにかく新鮮な空気を入れたいな…と考えていました。一方のダクト方式の第1種換気(排気と吸気の両方を換気扇で行う換気)は、吸気のホース内でカビが発生して室内に入ってくる可能性があるのかなと。第3種換気は外から新鮮で冷たい空気を入れるだけだから、カビの可能性はないなと思って。

でも、鈴木さんが言うように、大きな穴が開いているので気密性が悪いのと一緒なんです。やっぱりエネルギーロスが大きいし、吸気口付近は寒いのでダメだな…と(笑)。で、今は第1種しか使わないですね。

鈴木 やはり体感して分かることがあるんですね。カビの不安にはどう対応するんですか?

飯塚 カビはあくまで可能性の話なんです。なので、吸気するホースをなるべく短くするように機械の位置を考えて、なるべくカビが発生する可能性を下げるようにしています。

それに、自宅を建てて思ったのは、高気密高断熱で湿度の低い乾燥しがちな家のため、カビの心配よりも冬の寒さによる不快感の方がよっぽどイヤだなってことでした(笑)。それは冬の間、毎日のことですから。

 

設計では、可変性と日々のルーティンを重視

鈴木 温熱の重要性についてお話しを頂きましたが、他に家づくりで大切にしている考え方を教えて頂けますか?

飯塚 まず、新しい家での夢、新しい家での家族像を語ってもらい、共感し、その夢は叶えるということです。ただ、お話を伺っていくと、「毎週お友達を呼んでパーティーをしたい」「リビングで家族みんなでゲームがしたい」「普段はリビングにみんなが集まるけど、自分の時間も大切にしたい」など、夢が膨らんで要望は多くなりがちです。予算は有限ですから、挙げて頂いた要望に優先順位をつけていきます。
それから、日常の生活にストレスが無いように回遊性を持たせること。
あとは、時の流れをデザインするということですね。家族が過ごす「時間の流れ」があるじゃないですか。結婚して、子どもができて、成長して、巣立って、また夫婦2人になって…とか。その中でさらに1日の時間の流れがあって。

それぞれの家族の時間の流れをどうデザインするか?というのが大事だなと考えて設計しています。

そういう意味で可変性を重視しています。例えば子どもが巣立って部屋が余った時に、そこをセカンドリビングとして使えるようにしたりとか。間仕切りが必要なのが今だけだったりするので、なるべく細かく仕切らずに暮らせるようにしたりとかですね。

鈴木 1日の流れは、どういうことですか?

飯塚 例えば週末だけしかやらないバーベキューとか、年に1回花火を見たいとか、それも大事なんですけど、毎日の生活にストレスがあっちゃダメだなと思っていて。毎日やるルーティンでストレスを感じないようなプランをつくりたいと考えていますし、ルーティンが楽しくなるような家にしたいなと思っています。

そのために大事にしているのが、家の中心にキッチンを置くことです。奥さんでも旦那さんでもいいんですが、キッチンで家事をしながら子どもに勉強を教えるとか、家事をやりながら子どもたちが遊んでいる様子を見るとか、あとはママ友達が遊びに来るにしても、ダイニングテーブルでコーヒーを飲みながらリビングで遊ぶ子どもたちを見てるとか、要は「キッチンで何かをしながら」過ごすことが多いと思っていて。

それで、キッチンに立った時にどんな風景が広がるのか?というのを大事にしていますね。

鈴木 なるほど…。施工実例を見ていると、キッチンが中心にある家が多いように思いましたが、そういう理由からだったんですね。1日の流れでは、他に大切にしていることはありますか?

飯塚 家事動線ですね。日々の生活にストレスが無いように回遊性のある動線を心掛けています。帰ってきて玄関からパントリーに向かい、買ってきた食料品をしまってキッチンやリビングへ行けるとか。
あとは、洗濯して、干して、片付ける。これも毎日のことなので、ストレスのないプランを心掛けています。

鈴木 先月取材をさせた頂いたAさんのお宅も物干しスペースが広かったですが、奥様が「この家に住んで洗濯物を干すのが楽しくなった」と話されていましたよね。

ストレスがなくなると、人は家事を楽しく感じるんだな…と思いました。こんなに要らないんじゃないか?と思うくらいに広い物干しをつくる方がいいのかな?とも思いましたね。

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広い物干しスペースが設けられた燕市A邸。

飯塚 それができれば一番いいですね。予算的に難しい場合は、複数の機能を掛け合わせる提案をすることもあります。例えば、和室と物干しを掛け合わせるとか、2階のホールに干してもらうとか。

鈴木 たしかに、たまにしか使わないかもしれない和室なら、普段は物干しで良さそうです。

飯塚 ヒアリングをしながら優先順位を考えて、そのご家族に合った掛け合わせ方を見つけるようにしています。

 

〇〇風ではなく、愛着が増す本物の素材を

鈴木 デザインについては、どのようなことを大事にしていますか?

飯塚 「流行りを追いかけず、長く愛される建物を」と提唱していて。他の方も言っていますけど、「〇〇風の家」はイヤだなと思っています。そのために、線を極力減らしたすっきりしたディテールや、デザインしすぎないことを心掛けていますね。

あと最近は、住学(すがく、2018年に始まった、新潟県内の工務店や設計事務所が集まるコミュニティ)でみなさんから、特にサトウ工務店の佐藤さんから刺激を受けてなんですけど、素材にもこだわるようにしています。以前は「何でも使いますよ~」としていたんですけど、今は自分がいいと思っている物をお客さんに伝えていきたいと考えているので、使う素材を絞っていて、素材そのものの表情が感じられて、長く愛着を持てる本物の材料をお薦めしています。

逆に、新建材はなるべく使わないようにしていますね。もちろん、お客さんにとっての優先順位を尊重しますので、無理強いするわけではありませんが。

鈴木 外観はすっきりした形が多いですよね。屋根形状も切妻ではなく片流れ屋根が多いイメージです。

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インナーガレージを擁した三条市S邸(2020年4月竣工)
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2つのボリュームの建物が連なった燕市A邸(2020年1月竣工)

飯塚 切妻も好きなんですけど、そうしないのはR+HOUSEをやるようになってコスト意識が高まったのが理由ですね。一番コストを抑えられるのが四角い総2階で片流れ屋根なんです。今それを基本に家をつくることが多くなっていますね。

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鈴木 それから、飯塚さんはアウトドアがお好きじゃないですか。そういう感覚も家づくりに現れていたりしますか?

飯塚 それはありますね。外と中をつなぐ「間」ができるといいなと思います。いきなり外ではなくてワンクッション置くような中間的領域というか。
そこに、アウトドアの要素を取り入れることで、日々の生活の中でホッとする時間とか、家族だけの豊かな時間がつくれると思っています。

庭で遊ぶ子どもたちを眺めながら深い軒の下のデッキに椅子を置いて、夕涼みしながらお酒を飲むとか。そういう時間をつくりたいなと考えています。

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長岡市のスクールユニフォームHaRuの軒下空間(2020年9月竣工)

鈴木 飯塚さんもご自宅でそのような時間を過ごされていますか?

飯塚 そうしたいなと思って1.8mの軒の下にウッドデッキをつくったんですが、土日に県外へ出張することが多くて、あまり家族とそういう時間を過ごせないまま5年も経ってしまいましたね…(笑)。

それから、今、家づくりに燕三条の技術を使っていきたいなと考えています。

十日町市旧松代町出身の石田伸一建築事務所の石田伸一さんが「地材地建」と言って地元の魚沼杉、地元林業にスポットを当て盛り上げようとしています。
では、地元燕三条の地材とは…?と目を向けた時に、燕三条は古くから金属加工の産地として国内はもとより世界的にも名高い地域で、豊かな自然、人材の豊富さ、人々の活力、地場産業の集積度、国際性や多様性のどれを取っても高い。
さらに至近距離にある新幹線の駅と高速のインターチェンジが揃い、世界中を飛び回るバイヤーに「ここで生活する人は宝くじに当たったようなもの」と言わしめる程の地域なんです。
和釘、金属加工、保内の庭師、スノーピークやユニフレーム、キャプテンスタッグなどのキャンプ用品、大谷地和紙、食器、調理器などを作り上げる職人のまちであり、宝は「人」であり「技」、人財だと思ったんです。
その職人のまち燕三条の宝である職人の技を建物に生かしていきたいという意味で私は「地財地建」と名付けさせてもらいました(笑)。

例えば、和釘を作る職人さんにドアの取っ手やトイレットペーパーホルダー作ってもらったり、保内の庭師さんに植栽を作ってもらったり、あとはカトラリーなども燕三条製のいいものを使ってもらえたらいいなと考えています。

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三条の鍛冶の技で作られたドアハンドル。
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三条市の鍛冶職人・内山立哉さん。

 

設計士ではなく、建築家として

鈴木 最後に、今後どのような家づくりをしていきたいか教えて頂けますか?

飯塚 自分が住みたいと思える家をつくっていきたいですね。そのために、しっかり価値観を伝えていくことが大切だと考えています。

あとは、温熱の強化ですね。それによって生活のスタイルを変えることができるからです。体がラクになりますし、間仕切りを減らして開放感のあるプランが実現できます。それでいて光熱費は安く、健康の不安もない。

逆に健康に不安があると、どんなことも楽しめなくなってしまうので、せっかく建てる家で健康を損なうリスクがあるのは嫌だなと思っています。

それから、R+HOUSEで年間30棟設計をしていて累計で130棟くらい、県内で40棟くらいを設計してきたので、そこで得た知見を家づくりを考えている地元の方たちに共有したいなと考えています。

あとは、店舗にも力を入れていきたいですね。設計の考え方としては住宅と共通する部分が多いです。

そして、これは石田伸一建築事務所の石田さんが言っていることと同じですが、「お客様主体の完全自由設計から提案型のプランへ」という考え方を掲げていて、お客さんの要望を翻訳し、さらにこれまで培ってきた経験や理念を織り込んで提案をするようにしています。

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鈴木 プロと一般の人とでは、そもそもの知識量が違いますから、自分では想像できない提案をしてもらえるのがプロに依頼する醍醐味ですよね。

飯塚 そうですね。そうでなかったら建築家である必要はなくて、お客さんの言うとおりにつくる設計士でいいと思うんです。そうではなくて、建築家としてプラスアルファの提案をしていくのが自分の仕事だと思っています。

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建築物調査や鉄骨の設計をしていた20代を経て、30歳で独立し、設計事務所を始めた飯塚さん。

2012年から木造住宅の設計をスタートし、快適な温熱環境や可変性のある間取り、日々のルーティンを快適に行えるプランなど、建築における多様な要素をひも解きながら施主の希望を叶えています。

2020年夏。改めて自社のコンセプトを見つめ直し言語化をしたといいます。今回のインタビューで伺った考え方が、現在リニューアル準備中のイイヅカカズキ建築事務所のWEBサイト(2020年秋リニューアル予定)で見ることができます。

Daily Lives Niigataで制作をしたお客様インタビュー記事も掲載される予定ですので、ぜひご覧ください。

 

取材協力/株式会社イイヅカカズキ建築事務所(IKA) 代表・飯塚一樹さん

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文/Daily Lives Niigata 鈴木亮平

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鈴木 亮平

新潟市在住の編集者・ライター・カメラマン。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。累計800軒以上の住宅取材を行う。