会津、モンゴルを経て新潟へ。加藤淳設計事務所・加藤淳さんの歩み

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鈴木 亮平

新潟市在住の編集者・ライター・カメラマン。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。累計800軒以上の住宅取材を行う。

新潟市中央区関屋大川前にある株式会社加藤淳設計事務所。

代表の加藤淳(かとうじゅん)さんは、2015年に独立して加藤淳一級建築士事務所を創業。

8年目となる2022年に法人化し、株式会社加藤淳設計事務所を設立しました。

埼玉県で生まれ育った加藤さんは、福島県南会津の設計事務所でキャリアを積み、2010年に新潟市に移住。途中、モンゴルに2年間赴任するなど、ユニークな経歴をお持ちです。

今回は、加藤淳さんにこれまでの人生の歩みを伺いながら、どのような考え方で設計をしているのかを紐解いていきたいと思います。

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左:加藤淳設計事務所 加藤淳さん/右:Daily Lives Niigata 鈴木亮平

 

経済学部を卒業後、夜間の学部で建築を学ぶ

鈴木 では、よろしくお願いします。まず、加藤さんが建築の仕事をしようと思ったきっかけから聞かせて頂けますか?

加藤 1972年生まれの私の学生時代ってバブルが弾けた後の就職難の時代だったんですよ。私は経済学部にいて、その時に「自分が本当にやりたいことって何だろう?」と自分を見つめ直しました。

考えている中で、手を動かすこと、ものをつくることが子どもの頃から好きだったなあと思い出したんです。例えば、小学生の頃にロボットの中身を想像しながら断面の絵を描いて遊んだりしていました。工作や美術の時間もすごく好きで、いつも楽しみだったんです。

そんなことを思い出しながら、インテリア関係の仕事に就けないかと考えはじめ、義兄に相談しました。すると義兄は建築関係の仕事をしている弟さんを紹介してくれたんです。

その方は元々造園関係の仕事をしていて、青年海外協力隊でバングラデシュで活動し、帰国後に建築系の会社に入っていました。

バングラデシュでは公園や建物の計画に関わっていて、最後には現地で本をつくって帰ってきたそうで、その話を聞いてとても刺激を受けました。

その方から「建築を学ばずに建築やインテリアの世界に就職しても、それを専攻してきた同年代からどんどん差をつけられていくだろう。まずは建築の世界に入ってしまうのもありだと思うけど、その後本気で建築をやっていきたいと思ったら、夜間の学校で学ぶのがいいんじゃないか?」とアドバイスを頂いたんです。

それで、経済学部を卒業した後に未経験でも入れる建築系の会社に就職しました。そこは家具店の建築部門で、住宅や店舗、学校などの建築を行っていました。

ゼネコンの担当者さんと職人さんの板挟みになったり、デザイナーさんの意向を読み取りながら施工に変えていくことの難しさを感じたりしながらも、雑然としていた空間が建築になっていく過程を目の当たりにし、「しっかり勉強をして、もっと本気で建築の世界で働いてみたい」と思ったんです。

それで、翌年の春から東京理科大学の夜間の建築の学部に編入し、働きながら建築を学び始めました。

鈴木 経済学部から建築業界を目指し、働きながら夜間で建築を学ぶ。ものすごいモチベーションですね!

加藤 昼間会社で仕事をして、夜に大学で授業を受ける毎日はハードでしたが、その頃は若かったので頑張れましたね。

4年の夏になると、当時早稲田大学の教授だった石山修武先生による「A3ワークショップ」という2週間のワークショップが開かれました。

午前中に建築やデザインの第一線で活躍している方の講義があり、午後にワークショップを行うというもので、それがとても画期的で面白かったんです。

その期間は会社を休ませて頂いてワークショップの課題に取り組んでいたんですけど、それはまるで熱に浮かされたような時間で、毎日終電まで作業をしていました。

鈴木 僕も学生時代に建築を学んでいたので分かりますが、短期間で制作をするイベントはまさに熱に浮かされたような興奮状態がありますよね。

加藤 石山先生の講評はとても厳しくて怖いんですが、最終的にそこでまあまあいい評価を頂くことができました。そして、そのワークショップを機に自分の中で「建築」という世界の見え方が変わったのを感じました。

それまで「建築は大変だけど面白い」と思っていたのが、「建築って楽しい!」に変わったんですよ。

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ワークショップ期間中の講義もとても面白くて、「ル・コルビュジェには基礎があり、弟子がよく育っている。他の三大巨匠であるミース・ファン・デル・ローエやフランク・ロイド・ライトの弟子で名前が思い浮かぶ建築家はいるか?コルビュジェの図面をトレースしていれば何とかなる」という話が印象的でした。

それまでコルビュジェは歴史上の人物としか認識していなかったんですが、そこで興味を持つようになりました。

その後、ワークショップで仲良くなった他大学の学生たちと、週に1度集まってコルビュジェについて話し合う「コルビュジェ会」を始めたんです。

毎回コルビュジェのどの作品について話し合うかを決めておいて、各々が論文を勉強してきたり、図面をトレースしてきたり、模型を作ってきたりしながら、勝手気ままに考察を言い合うんですよ。そうすることで、より深く作品を知ることができました。読書会みたいな感じですね。

コルビュジェ会をやっていたのは数カ月だけですが、すごく刺激的な時間でした。その時に、卒業後はお金を貯めて、1年後にコルビュジェ建築を見にヨーロッパ旅行に行こうと思いました。

それから、その後の卒業制作の評価は学部内で2番になり、制作物をいろいろな展示会に出させてもらったりもしました。

鈴木 学生時代に濃密な時間を過ごし、しっかり結果を出していたんですね。卒業後は東京で働いていたんですか?

大学の同級生で芳賀沼整さんという社会人をしながら建築を学んでいた人がいて、その人に「働きながら旅費を貯めたいならうちに来れば?山奥だからお金を使うところもないので貯金がしやすいし、1年働いて辞めてもいい」と誘われて南会津で働くことになりました。

「はりゅうウッドスタジオ」という設計事務所です。1年で辞めていいと言われましたが、その後そこに10年いました(笑)。

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はりゅうウッドスタジオ勤務時代の加藤さん。後ろの建物は加藤さんが借りていたログハウス。

南会津は本当に雪深い場所で、冬は一晩で1mくらいの雪が積もることもありました。

 

設計事務所に就職。1年後、建築巡礼の旅へ

鈴木 その間にコルビュジェ建築を巡る旅に行ったんですか?

加藤  はい。1年働いた後に1カ月の休みを頂けて、フランスを中心にスイスやイギリスなどを回りました。マルセイユのユニテ・ダビタシオンや、リヨン郊外にあるラトゥーレット修道院などのコルビュジェの建築に泊まったりもして幸せな時間でしたね。

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ユニテ・ダビタシオンの屋上。
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加藤さんが宿泊したラトゥーレット修道院の僧房。

今私が設計をする時の建物のプロポーションや窓の取り方には、その頃にコルビュジェを勉強した経験が生かされていると思います。

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パリ郊外にあるサヴォア邸の水平窓。

鈴木 言われてみると、加藤さんが設計する住宅のプロポーションや窓は、水平方向の広がりが意識されているように思います。そのあたりにコルビュジェの美意識が現れているように感じます。

加藤 それから、コルビュジェは「住宅は住むための機械である」といった先進的なプロパガンダをいう人だったんですが、実は歴史的な建物の概念を打ち砕くのではなく、昔のいいものを時代に合うように翻訳しようとしていたのではないかと思うようになりました。それも勉強をしていく中で分かっていったことです。

鈴木 1カ月の旅を経て、加藤さんの中で変わったことはありますか?

加藤 近代建築を中心に見て回っていて、それが面白いと思う反面、実は途中から食傷気味にもなっていたんです。そんな時にパリで見た18世紀の建築「ラ・ヴィレットの関門」(クロード・ニコラ・ルドゥー設計)が新鮮に見えて。近代建築より前の建物にも興味を持つようになりましたね。

その旅を経て、どこかへ建築を見に行く時には、新しい建物と古い建物の両方を見るようになりました。それが設計に直接生かされるわけではないですが、「古い建物が今も残されている理由は何だろう?」と考えるようになりましたね。

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コルビジェ旅行中の加藤さんのスケッチ。モンサンミッシェルとサヴォア邸2階の庭園。

 

モンゴルに赴任し、ゲル地区の建築を調査

鈴木 はりゅうウッドスタジオではどんな建物の設計をしていたんですか?

加藤 住宅がメインで、福祉施設やコーポラティブハウス、ペンション、道の駅、店舗などいろいろでした。会津地域で別荘を建てた人から自宅の設計依頼を受けることもあり、茨城県や神奈川県など関東でも仕事をしていましたね。

27歳からはりゅうウッドスタジオで働き始め、32歳の時に一級建築士資格を取りました。

鈴木 たしかその後に青年海外協力隊でモンゴルに行ったんですよね。

加藤 はい。その頃は設計の仕事にも慣れてきて、自分を試してみたいと思うようになっていたんです。学生時代に義兄の弟さんから聞いた青年海外協力隊の話を思い出し、違う言語、違う価値観を持つ人たちに対して自分がどう貢献できるか挑戦したいと思って。

募集要項の中にモンゴルの大学の建築の講師があり、応募したんです。90年代に社会主義体制が崩壊し、経済が急成長しているところにも興味がありました。街のエネルギッシュさを体感してみたいと思ったんです。

現地では、モンゴル国立科学技術大学で現地の先生と一緒に西洋建築史の教科書を作ったり、ワークショップ形式の授業をしたり、マンション建築のノウハウを教えるセミナーを開いたり、いろいろなことをしましたが、ゲル地区の調査に一番時間を掛けていました。

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ゲル地区で調査をする加藤さん。

ゲルは本来遊牧民が移動しながら暮らすための住まいなんですが、社会主義体制が崩壊して計画経済が機能しなくなると、遊牧民がそれまでの遊牧生活を続けられなくなったんです。それで遊牧民たちは都市の近郊にゲルを建てて定住するようになっていました。

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モンゴルの草原に建てられたゲル。

そこで、ゲルでの住み心地はどうなんだろうと思い調べることにしました。

モンゴルは冬にマイナス30℃くらいまで冷え込む気候で、ゲルの中の温度を調べると、天井付近と足元では20℃もの差があったんですよ。室内で3℃の違いがあると人は不快感を感じるといわれていて、ゲルの中にいると実際に頭がぼーっとしましたね。

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加藤さんが調査したゲル内の温度と湿度。

他のメンバーとゲルに泊まった時にベッドの数が足りなくて、じゃんけんで負けた私は地べたで寝たんです。本当に寒くて全然眠れませんでした。

だからゲルに住む人たちはお金が貯まってくると家を建て始めます。資材ストリートみたいな場所があって、そこで建材を買って自分たちで家を建てるんです。驚いたのは、日本で使われているものよりも性能がいいサッシが当たり前のように売られていたことですね。

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モンゴルの資材ストリート。
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セルフビルドの家。
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定住ゲルとセルフビルドの家。

鈴木 日本の窓の性能が世界に後れを取っているというのはよく聞く話ですが、それを目の当たりにしたんですね。

加藤 そうやって建てられた家に入ってみると、室内の温度差がなく快適でした。ロシア式の暖房システムが入っていて、それも自分たちで作っていましたね。

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ロシア式の暖房システム。

ただそういったセルフビルドの家には施工精度のバラつきがあったので、そのあたりの問題提起をしたんです。そうしたら地元のテレビに取り上げられたり、大使館の勉強会に招かれたり、引っ張りだこになりました。

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シンポジウムで研究成果を発表する加藤さん。

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最後にシンポジウムを開いて、一冊の本にまとめて任期を終えました。改善点まで提案できたらよかったんですが、ちょっと時間が足りなかったです。

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最終的に一冊の本にまとめた報告書。

南会津とモンゴル、どちらも冬寒い地域ですが、冬場の快適さというのがとても重要なんだなというのを身を持って認識できましたし、その経験は今の住まいづくりに生きています。

 

新潟で自邸を建築。それが独立のきっかけに

鈴木 モンゴルでの2年の任期を終えて、その後すぐに新潟に移住したんですか?

加藤 いえ、それから2年間は南会津にいました。しかしその後、子育てをしやすい環境を求めて、家内の実家がある新潟市に引っ越しを決めました。2010年のことです。

新潟に住み始めたのは1月で、はじめは日照量の少なさにびっくりしました。でも、だからこそ、たまに晴れるとすごくうれしい。日光のありがたさを強く感じるようになりましたね。

以前フィンランドを旅行した時にアルヴァ・アアルトの建築を見て回ったんですが、冬の日照量が少ない中で光を上手に採り入れる工夫がなされていました。

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ヘルシンキ郊外にあるアアルト大学。
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ヘルシンキにあるアアルト自邸。
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ヘルシンキにあるアアルト自邸。

そのことを思い出し、新潟に来てからは冬の光を積極的に採り入れる提案をするようになりました。

新潟では地元の工務店で働き始めたんですが、引っ越して来て3~4年目に自宅の設計をしたことが独立をするきっかけになりましたね。

自分なりの考え方でお客様に提案してみたくなり、その思いを抑えられなくなっていったんです。自宅が完成した時「それができる」と思いました。

それから、お客様の本心を深く知った上で、最初から最後までお客様と付き合っていきたいと思うようになったことも独立を決めた理由です。

今は最初のヒアリングからお客様と関わり、施工中は設計監理を行い、引き渡し後も工務店さんの定期点検に同行してお話を聞いたりアドバイスをしたり、人と人とのお付き合いを大事にしています。

鈴木 ヒアリングの時点では、お客様が本当に自分たちが求めているものを分かっていないかもしれないですし、本心を引き出せるかどうかも質問の仕方で変わってきそうですもんね。

加藤 そうなんです。ヒアリングではその人が求めているものを見つけ出すことが重要です。お客様とのキャッチボールを通していい答えが見つかったりもします。

楽しく家づくりを進めながら、満足度の高い家をつくれたらと考えています。

真砂の家02
『真砂の家02』(新潟市西区)。

 

コロナ禍で依頼が増加。2022年に法人化

鈴木 独立したのは2015年ですよね。それからどのようにして現在に至っていますか?

加藤 独立したばかりの頃は仕事がなくて、工務店さんに営業に行っていました。でも全然仕事につながらなかったです(笑)。

最初の数カ月は収入が本当に少なくて、消しゴムやペンなどの筆記用具を買うのにも悩むくらいでした。

そんな時期に、青年海外協力隊で知り合った京都の人から住宅購入の相談を受けたんです。話しているうちに新築の選択肢が出てきて、私の方で設計をすることになりました。

『修学院の家』(京都市左京区修学院)

その後、元同僚から「母の家をリノベーションしたい」と相談があり、リノベーションの設計をしたんです。さらに「自分たちの土地を購入したので、自分たちの家の設計をして欲しい」と新築の依頼も受けました。

『天野の家リノベーション』(新潟市江南区)
『江南の家』(新潟市江南区)

そんなふうにして、知り合いや元同僚からの依頼があり、その後も知り合いから工務店さんを紹介してもらったりして、仕事が増えていきました。

やがて知り合いの一人から構造計算の仕事の依頼を受けると、収入が安定するようになりました。そこで構造の重要性を強く認識するようにもなりましたね。今耐震等級3にこだわって設計をしていますが、この頃の経験が役に立っています。

また、今一緒に仕事をすることが多いAg-工務店さんの仕事が増えていた時期で、Ag-工務店(当時は渡部建築)さんからの依頼で設計をすることも増えていきました。

鈴木 独立したばかりの頃は多くの人が苦労するものだと思いますが、転換期のような時期はありましたか?

加藤 一つは先ほど話した元同僚の家の新築ですね。その家の事例ができてから、年を追うごとに依頼が増えていったように思います。

ここ数年では、2020年にコロナが広がった時期に依頼件数が増えました。家を建てようと考え始めて最初に総合住宅展示場に行く人が多いと思いますが、展示場が休業になったことで、インターネットやSNSで小規模な工務店や設計事務所を探す人が増えたことが理由の一つかもしれません。

鈴木 昨年(2022年)7月に法人化し、それまでの加藤淳一級建築士事務所から株式会社加藤淳設計事務所になりました。法人化をしようと思った理由は何ですか?

加藤 自分が年齢を重ねてきて、お客様に安心して設計を依頼してもらうのに法人であることが安心材料になるのではないかと思ったことが一つですね。

あとは、自分が持っている技術や考え方を引き継いでいきたいと思ったことがもう一つの理由です。個人事業よりも法人であった方が環境を整えられますし、安心して働いてもらえると考えたからです。

 


ここまで本記事の前半で加藤淳さんの歩みを伺ってきました。

後半では、加藤さんの設計のこだわりや考え方を聞いていきます。


 

耐震等級3を前提に設計を行う

鈴木 ここからは加藤さんの設計の特徴を掘り下げていきたいと思います。住宅の設計で大事にしていることを教えて頂けますか?

加藤 1番大事にしていることは耐震性能ですね。命を守れるように、科学的な根拠に基づいた耐震性能のある建物を提供するようにしています。“大工の勘”とかではなく、自社で構造計算を行った上で耐震等級3をクリアした建物を設計しています。

聖籠の家
『聖籠の家』(新潟県聖籠町)

2つ目は断熱性能です。メンテナンスで伺った時に、快適に暮らしているという話を聞けるとうれしいですし、自分のこれまでの経験を生かして設計を行っています。

3つ目はプランやデザインです。これは突き詰めれば突き詰めるほどいいものができると思っています。いろいろなものを鍋に入れて煮詰めて料理をつくる感覚に似ていますね。パッといいアイデアが浮かんだとしても、すぐにその案で進めるのではなく、継続的に考えて煮詰めてからお客様に出します。後から冷静に見直すことで、整っていない部分が見つかるんです。そこが設計の面白さでもありますね。

白根の家
『白根の家』(新潟市南区)

鈴木 まず耐震性能と断熱性能をしっかり確保することが前提にあり、その上でプランやデザインがあるということですね。プランやデザインにおけるこだわりや考え方を詳しく教えて頂けますか?

加藤 「その場所に住む」ということが重要だと思っていて、どんな敷地環境なのかをしっかりと調べるところから始めます。お客様の夢や理想のライフスタイルはもちろん大事ですが、その敷地に住む良さを味わってもらいたいので。

例えば、隣地の建物や植栽の位置、道路との位置関係を考えた上で、窓を配置したり、逆に閉じたり。隣が空地だったとしても将来建物が立ちそうであればそれを見越して設計をします。

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『五十嵐の家06』(新潟市西区)

建売住宅で道路側にどーんと掃き出し窓が設けられているのをよく見ますが、それだと昼間でもカーテンを開けることができません。窓の配置を安易に考えてはいけないと思います。

奈良三郷町の家
『奈良三郷町の家』(奈良県三郷町)。リビングの掃き出し窓を少し奥まった場所に設け、その手前に木塀と庭を配している。

鈴木 加藤さんが設計する住宅は、家事のしやすさもよく考えられていると思います。それはどのようにして導き出されるんですか?

加藤 自分が普段から家事をしているので家事のしやすさはいつも意識しているんですけど、自宅で失敗したことも設計に生かされています。

例えば、自宅のサニタリーは2畳にしたんですが、それでは面積が足りず作業がしにくいんです。物干しを兼ねるなら最低3畳はあった方がいいです。

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『燕市水道町の家』(新潟県燕市)

自分の場合は夕飯を作りながら洗濯機を回すことも多いので、キッチンとサニタリーの位置関係も考えますし、うまく配置できれば物干しに西日が入るように計画をしたり、あとは外干しがしやすい工夫もしています。

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『女池の家』(新潟市中央区)

鈴木 格子に囲まれた外物干しは、今や加藤さんが設計する家の定番になりつつありますね。外観はどのようにして形を考えていますか?

加藤 外観は極力シンプルにしています。

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『五十嵐の家04』(新潟市西区)

できれば植栽もして、なるべく街並みに溶け込むようにしたいです。植栽があることでご近所さんとコミュニケーションが生まれることもあります。

『江南の家』(新潟市江南区)

あとは、カーポートをつくる時は、なるべくカーポートの存在が中和されて目立たなくなるようにしたいと思っていて、道路に対して平行にしたり、カーポートに板を張って木塀にしたりという提案をしています。

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『東中島の家』(新潟市東区)

それから、内部にどのように光を採り込むかを考えていると、それが自ずと外観に現れてきます。不思議なことに内部をしっかり考えていると外観も良くなるんですよ。

外観を検討する際には、モデリングソフトを使って内部も同時に検討します。プランと外観の整合性は以前よりも早い段階で取れるようになってきていますが、そこは経験によるものが大きいのかもしれません。

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『松浜の家』(新潟市北区)

屋根形状は内部空間から導き出すこともありますし、周辺環境から決めていくこともあります。

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『新発田の家』(新潟県新発田市)

 

窓の取り方や素材選び。それぞれのこだわりと理由

鈴木 加藤さんは吹き抜けをつくることも多いと思いますが、それは加藤さんから提案するんですか?

加藤 こちらから提案をする場合も、お客様からの要望である場合もありますが、あまりドーンとした大きい吹き抜けはお薦めしていないんです。私が提案するのは「ちょっと高い」くらいの吹き抜けですね。

あまり大きい吹き抜けをつくると暖房効率が落ちますし、天井高が3mを超えると人はあまり高さを認識しなくなるんですよ。

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『聖籠の家』(新潟県聖籠町)

なので、天井高のギャップを効率的に感じさせることを意識しています。さらに、高窓を設けることで空間を明るくする工夫もしています。光の採り入れ方は、直接的にではないですが北欧の建築も参考にしています。

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『東区の家』(新潟市東区)

鈴木 同じ一続きの空間でも、リビングだけ天井高を変えたりして空間に広がりをつくる感じですね。

内部空間と外とのつながりについてはどうでしょうか?

加藤 外観の話で植栽に触れましたが、植栽は内部からも楽しめるようにしたいと思っています。リラックス効果もありますしね。

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『真砂の家02』(新潟市西区)

目線が抜ける場所に窓を設けたり、窓の前に座ると気持ちよさそうだったらベンチを造作したりという提案をします。

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『五十嵐の家05』(新潟市西区)

車通りが激しい敷地の場合は、道路から守られるように中庭を設けることもあります。

真砂の家
『真砂の家-01』(新潟市西区)

上の写真は、2階のリビングから中庭越しに水回りを見たところです。窓から自分の家が見えると、実際の床面積以上に広がり感が得られます。

ウッドデッキはご要望があれば設けますが、そうでない場合は特にお薦めはしていません。あまりウッドデッキに出ない人に薦めてもメンテナンスコストばかりが掛かってしまいますので。また、屋根がないと使われなくなるので、ウッドデッキにはできるだけ屋根を架けるようにしています。

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『荻曽根の家』(新潟市江南区)

鈴木 たしかに屋根のないデッキは暑い時期は使いにくい場所になりそうですよね。

素材についてはどう考えていますか?

加藤 素材は“嘘のない素材”を使いたいと思っています。プリントやエンボスの技術がどんどん発達していて、本物と見まがう仕上げ材が増えていますが、それは完成した時が一番きれいで、あとは古くなっていくだけになってしまいます。

だからと言って高級な素材にこだわっているわけではありません。例えば合板は比較的安価ですが、表面の天然木は経年変化で味わいが深まります。

小針の家
『小針の家』(新潟市西区)

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壁の仕上げは、予算に余裕があれば和紙や塗り壁をお薦めしています。光の回り方が柔らかくなるんですよね。予算が厳しい場合は塗り壁をセルフビルドでしてもらうこともあります。

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『木崎の家』(新潟市北区)。壁は左官職人のオーナーによる塗り壁と、和紙張り。

ビニルクロスを使う場合は無地を基本にしています。既製品のドアを使う時は枠材を造作することで既製品っぽく見えないように工夫していますね。

あとは、トイレや脱衣所、キッチンなどの水回りは自然素材にはこだわらず、濡れても扱いやすい素材を使うようにしています。針葉樹は濡れると染みになりやすいので、「自然素材を使いたい」という方の場合は、キッチンの床にチークなどの水に強い木を張ります。

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『新発田の家』(新潟県新発田市)

 

固定観念を疑い、建築費を有効に使う

鈴木 先程、吹き抜けの話がありましたけど、加藤さんの設計する家の天井高は一般的な天井高2,400mmよりも低めに抑えられていることが多いと思います。その理由を教えて頂けますか?

加藤 「天井高を2,400mmや2,700mmにしたい」というご要望があればそのようにしますが、私の体感では2,100~2,250mmくらいがちょうどいいなと思っています。身体感覚は人それぞれではありますが、天井高を抑えると空間の縦横比で広く感じられたりもするんですよ。そこはモデリングをしながら考えていきます。

また、天井高を抑えることで暖房効率や耐震性能を高められるというメリットもあります。

関屋下川原の家
『関屋下川原の家』(新潟市中央区)

鈴木 天井高=2,400mmというのが無意識に刷り込まれていますが、その固定観念を一度疑ってみるのも大事ですね。加藤さんが固定観念で疑ってみた方がいいことは他にありますか?

加藤 大きなソファを欲しがる人が多いですが、本当に必要かどうかを考えてみてもいいかもしれません。家族がそれぞれ好きな場所で過ごすことが多いかもしれませんし、そうなるとソファが物置きになってしまうということもあり得ます。

「子ども室は5畳以上」「客間が必要」「収納を多く」といったことも、周りの人がそうしているとか、これまでの生活がそうだった、という理由から考えていることも多いと思います。でも一度立ち止まって「本当にそうなのか?」と疑ってみることが大事です。

例えば不要な収納を1坪つくるのは100万円を無駄に使うのと同じであり、無駄なものを増やすことにもつながります。

鈴木 たしかに固定観念によってプランの自由度が狭まったり、使わないものにコストを掛けてしまうのはもったいないですよね。

新築は時代に合った概念で家を建てるチャンスだと思うので、20年前30年前の概念に引っ張られてしまうのはもったいない感じがします。

加藤 そうなんです。例えば、下の写真は2階に家族共有のスタディーコーナーを設けた事例です。このスペースをつくることで、子ども部屋を最小限の面積にしています。

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『中山の家02』(新潟市東区)

 

初回面談から完成まで

鈴木 ここまで加藤さんのこれまでの歩みと、具体的な設計の考え方を伺いました。このインタビューもそろそろ終盤になります。

家を建てたいと思った人が加藤さんに依頼をする場合、どのような流れになるかを教えて頂けますか?

加藤 はい。最初に「初回面談」を行い、ヒアリングをさせて頂きます。そして、ヒアリング内容を元に、概算予算とプランの作成を行います。これは最初の1回まで無料で行っていることですが、競合他社さんがいる場合はお断りをさせて頂いています。

この概算予算とプランで決定して進めるのではなく、判断材料の一つとして見て頂くためにお出ししていて、ここから先に進む場合は「設計契約」をして頂きます。

また、複雑な敷地状況や法規制などがある場合は、設計申し込みを頂いてから概算予算とプラン出しをすることがあります。設計申込金として100,000円を頂戴しています。

大まかな建物の規模と予算が決まりましたら、そこで設計契約をさせてもらっています。

その後に、実施図面を作成し、工務店さんに詳細見積もりを作成してもらい、調整を進めます。

その後に、工務店さんとの「工事請負契約」をして頂きます。特に指定がなければ、当社でお付き合いがある工務店さんで施工をして頂きますが、そのメリットは私たちの意思疎通が容易であり作業効率が高いこと、数多くの現場を一緒にやりながら改善を繰り返していることが挙げられます。

着工から完成までは半年程度。最初のプラン出しから住むまでの期間は早くて1年くらいを見て頂けたらと思います。

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マンパワーから、組織的な設計事務所へ

鈴木 家を建ててくれる会社には、大手ハウスメーカーや工務店、ローコストビルダーなどいろいろな選択肢があります。その中で、設計事務所の役割とはどういうものなのでしょう?

加藤 設計事務所の役割は建築市場を良くしていくことにあると思っています。そのための関わり方として、設計事務所がトップになってプロジェクトを進めていくものもありますが、後方でサポートをするのも大事です。

一昨年、工務店さんが店舗兼貸事務所の建築を行っていて、その中のデザインの相談があったんです。伺った予算でやれる範囲でサポートをしたところ、完成後にすぐに事務所の借り手が見つかりました。

設計事務所は決して敷居が高いものではないので、うまく使ってほしいと思っています。工務店さんも優秀な設計士さんがいるところもあれば、そうでないところもあります。

後者の場合、設計やデザイン業務を無理に自分のところで抱えるのではなく、設計事務所と組むことでお互いの強みを生かせます。その結果、社会に対してより高い付加価値を還元できますし、そういうことを今後どんどんやっていきたいと思っています。

鈴木 設計事務所に頼むと高くつきそうだ…というイメージがありますが、予算に合わせてうまく対応ができるということですね。

加藤 はい。掛かる時間によって設計料を調整できますし、「いいものをつくりたい」という想いでやっていますので、構えずにご相談を頂けるとうれしいですね。

鈴木 最後に、今後の目標を教えて頂けますか?

加藤 2015年に独立してからマンパワーでやってきましたが、今後は組織的にやっていきたいと思います。法人化を機に、特に人材育成と事業継続を意識して仕事に取り組んでいます。

ところで、自分が建築の経験を積んでいく中で、はりゅうウッドスタジオで芳賀沼整さんという建築家の仕事をそばで見られたのは非常にいい経験でした。すごくストイックな方なんですが、周りの建築家や、住民・学生など周辺の人たちを巻き込んでいくお祭り好きな一面もあって。

ある時に「俺は整えていくんだ」とおっしゃっていたんですが、それは建物を整えるだけでなく、周りを整えていくということなのかなと思いながら聞いていました。

2019年に亡くなってしまったんですが、芳賀沼整さんのように自分も周囲の人をうまく巻き込みながらやっていきたいと思っています。

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経済学部の学生時代に建築を志し、働きながら夜間の大学で学び直した20代。

設計事務所で経験を積み、青年海外協力隊でモンゴルに赴任した30代。

独立をして設計事務所を開き、着実に実績を積み重ねてきた40代。

そんな30年弱の月日を経て、昨年法人化すると共に50代になった加藤淳さん。これまで培った経験を生かしながら、今後は組織として仕事の幅を広げていくことを目標としています。

建築とはあらゆる可能性の中から一つの答えを導き出していくもの。加藤さんの人生を紐解いていくと、その設計には他の誰でもない加藤さんならではの経験が詰め込まれていることが見えてきます。

この窓はコルビュジェの影響だろうか? この暖房効率に配慮した設計はモンゴルのゲルでの経験に基づいているのだろうか? そんなことに思いを馳せながら加藤さんの建築を考えると、より深く味わうことができそうです。

加藤さんの手掛けた住宅建築はインスタグラムで数多く紹介されています。ぜひこちらもご覧ください。

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※画像クリックで加藤淳設計事務所のインスタグラムページへ。

 

株式会社 加藤淳設計事務所
住所:新潟市中央区関屋大川前2-3-8-D
電話:025-378-5087
Instagram:@katojun0826

 

取材・文/Daily Lives Niigata 鈴木亮平

The following two tabs change content below.

鈴木 亮平

新潟市在住の編集者・ライター・カメラマン。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影とコンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。累計800軒以上の住宅取材を行う。